第二章~嘘も方便~
「仏が衆生済度にあたっては、
方便(手段)として嘘をつくこともある。」
ということから、偉大なる善行の前では、
偽りが認められるという宗風時代が継承されてきたことは事実である。
幼少時代から母親(父親)から教わった、
「嘘つきは泥棒の始まり」というセリフは代々継承されきたのだろう。
しかし、嘘をつくことは泥棒でも何でもない。
嘘は嘘である。
現代ではあまり耳にすることは少なくなったが、
嘘をつけば何らかの罰を受けることが一般的なルールであり、
他人を気づつけることにもなりかねない。
これもまた事実である。
「嘘」と「罪」はスイーツのように甘く深く絡み合い、
調和を維持するは至難の業であり、永遠のテーマである。
このまま未解読のまま葬ることもできるが、
科学的、文明的に解明されることに期待したい。
それには、
世の中の人々が「嘘」を悪事と認識できていない時点で、
研究者が重い腰をあげることはない。
卓越されたブレインを働かせる価値もない。
#ブログを本に#嘘#ココロ#世界中の嘘
2024年10月16日(水)
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